オーディオに定位は不要 |
ステレオ再生において、”定位” なる概念が生まれたのはいつからだろうか?
左右のスピーカー間をステージに見立てて、その疑似空間にあたかもそこにあるように、楽器や声が点在するのが、定位の概念である。基本性能として、音像は ”点” が良いとされる。曰く、良い音の条件として、定位に優れるのがオーディオの常識らしいが、僕はそうは思わない。
話は簡単だ。
ジャズ、ロック、クラシックの生演奏において、どこにも定位現象は無い。(当たり前だが)名盤の宝庫である、ジャズ、クラシックのモノラル盤にも、定位なんか無い。なのに、何故オーディオ再生になると、定位が重要になるのだろう。僕が思うに、それはオーディオ業界の仕掛けた策略で、機器の性能序列を決めるファクターとして、定位を売りにすると素人さんに分かりやすいからだろう。傾向として高額機器になるに従って、音像が小さくなって定位に注目させる音作りになっているようだ。
繰り返し書くが、定位に優れるのがオーディオの常識らしいが、僕はそうは思わない。ステレオ再生における良い音の条件は、
1.トランジェントに優れる
2.ダイナミックレンジが大きい
3.自然なねいろ
の3ファクターだけでいい。で、音像は点じゃなく巨大なのが良い。何故なら、ナマ演奏の音像はとてつもなく大きいからだ。いやいや、ナマ演奏にも定位はある、と定位肯定派は力説するだろうが、そもそも、ナマ演奏で定位を気にする聴き方がオーディオ的視点であり、聴き方として間違っているのに気づくべきだろう。
で、このように思考転換をすると、スピーカーの置き方は、左右間隔が狭く、平行置きに収束するのである。この設置を実現できれば、モノラル盤から演奏家の心が聞こえて来る。モノラルが上手に鳴ればステレオ盤はもっと上手に鳴るのは経験的に分かっている。結果として定位に優れる盤もあるだろうが、定位などあってもなくても、音楽の感動には関係ない。